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現在進行形でもやもやしてること
今日、家に帰ったら誰もいなくて、
夕飯もパンもカップラーメンも何も用意されてなくて。
何とかインスタントラーメンを掘り出して、お湯を沸かせて食べた。
別にそれは嫌じゃなかった。ラーメンは好きだ。
10時前にやっと帰ってきた母親は、「おみやげ」と、ティッシュにくるまれた冷たいシーフードピザの2切れをを差し出してきた。
「……冷たいままで食えってやられても困るんだけど」
俺がそう言うと母親は、「温めたりとかは好きにしなさい」と言った。
母親的には、わざわざ俺の為におみやげを用意した時点で、俺への気配りは終わっているらしい。
そもそも、夕飯としてその冷たいピザを差し出してるのだとするなら、あまりにも少なすぎないか。元々食べていたからいいものを。
どうやら母親にとって量は問題ではないらしい。
大切なのは『わざわざ、子ども相手におみやげを用意したこと』のようだ。
ていうか俺、シーフード嫌いなんだけど。
母親が知ってる私の嫌いな食べ物は小さい頃から嫌ってた『レーズン』
しかない。
それ以外は何度言っても覚えようとせず、普通にお弁当に入れたりとか夕飯に嫌いな食べ物のオンパレードとかもよくある話だ。
そもそも、昼間に出かけた帰りに友人に街中で会ってそのまま家族の夕飯も用意せずに、その友人と二人で食べに行く時点で主婦として、母親としてどうかと思う。
しかもこれは初めてのことじゃない。帰ってきて親がいないなんて日常茶飯事だ。
それでも少なからず、自分が中学生の頃まではそんな母親の姿に不信感はなかった。
母親は働いていて忙しいから、朝食や夕飯がない時もあるのは仕方ない。
たまにマージャン行ったり競馬行ったり飲みに行ったりして、家にいないことがあるのも、たまの休みだし仕方ない。
そう思いこんでいたから。それが母親の姿だと、思っていたから。
ないものねだりだとは分かっていても、せめて母も父も?義理の親?だったら良かったと思う。
そしたら、愛されないのも当たり前だと思えたかもしれないから。
本当にそうな人には大変失礼な話だけれども。
いや、母も父も僕を愛しているのかも知れない。
今日だって、わざわざ僕の為に食べ放題のお店でこっそりとピザをくるんできてくれたじゃないか。
そう逆の目線でとらえ、それで満足出来れば僕は幸せだったかも知れない。
でも僕は、家に帰ったら温かい食事が用意されているのが一番良い。
それがダメなら、冷めててもいいから机の上にご飯が用意してあって欲しい。
それでもダメならせめて、そのピザを温めて皿の上に乗せて渡して欲しくて。
そう思う自分は、欲張りすぎているのだろうか。
母親は何事もなかったかのように、友人と今日出会った経緯を話したり、
「エレベーターの中でうちの高校の子がいたんだけどピアスが何個もついてて、本当だらしないよね」なんて言ったりしていて。
どうしてそうやって、他人の子のことを気にかけるくせに自分の子を見ようとしないのだろう。
そう思ってしまう自分は、異常なのだろうか。
一方的に扉の向こうでペラペラと今日のことを喋る母親の声が耳障りで、何度も怒鳴った。
それこそ、病的に。発作的に。
それでもお喋りをやめない母に
「聞こえないのか。いい加減にしろよ。話しかけるな」と俺は怒鳴った。
それ以上話をやめなかったら、多分殴るなり蹴っていたと思う。
僕は母親の前で一番、自己愛性のアレになる。
一つだけ決めていることがある。
大学に入ったら、この家を出ることだ。
自己愛性人格障害を治すには、両親と離れることが一番だと思う。
このあいだ、僕が風邪をひいた時の話だ。
熱もあってのどが痛くて咳も出てて、時期的に麻疹の可能性もあった。
自分はとても、気分が悪そうな顔をしていたと思う。
その時の母親の一言だ。
「病院までついてってあげるから、さっさと支度しなさい」
この言葉はつまり、
俺一人で病院に行くことが前提だけど、あまりにも顔色が悪いから仕方ないからついていくわ。
っていう、母親の考えが読み取れる。
まぁ確かに私の家は車もない分、病院も近いところにある。
でもだからって普通、麻疹かもしれない子どもを一人で行かそうとするだろうか。
友達にも聞いた。答えはNoだった。
でも、もし俺が一人暮らしをしていたとしよう。
どんなに気分が悪くても、病院に行くのは一人で行くしかない。
そこに母親が来て、「一緒に病院行ってあげるわ」って言われたら、僕はどれだけ嬉しいのだろう。
要は、僕はそう思える心の余裕をもたなければいけないのだ。
発想の転換が必要なのだ。
元々、20歳になったら家を出ろと小学生の頃から言われてただけに、それが2年ばかり早くなったと考えればいい。
母親に家を出るって言ったら、「お前に一人暮らしは無理」と言われた。
そんなの自分で分かってる。それでも、出ていかなきゃいけないのだ。
それに、一人暮らしじゃなくても家さえ出れればいいのだ。
だから俺は大学入ったら、鞄一つで友達の家を渡り歩くと思う。
家賃も光熱費も食費も半額払うからしばらく住ませて欲しい。
そう言えば、誰かしらは見付かると思う。
ともかく、この家を出なきゃいけないのだ。
僕に一番必要なことは、それだと思う。
家を出ることは、一人暮らしをしている姉からのアドバイスだ。
同じ母親である以上、言葉にはしなかったけど姉も同じことで悩んでいたのだと思う。
母は私たち2人の子どもの親としては、不適格だったようだ。
こう考える自分は異常なのだろうか。
親を捨てる子どもは異常なのだろうか。
僕は、大学に進んだら教育……それも、虐待に関して重点的に勉強したい。
もう僕のような子どもを、作りたくないから。
夕飯もパンもカップラーメンも何も用意されてなくて。
何とかインスタントラーメンを掘り出して、お湯を沸かせて食べた。
別にそれは嫌じゃなかった。ラーメンは好きだ。
10時前にやっと帰ってきた母親は、「おみやげ」と、ティッシュにくるまれた冷たいシーフードピザの2切れをを差し出してきた。
「……冷たいままで食えってやられても困るんだけど」
俺がそう言うと母親は、「温めたりとかは好きにしなさい」と言った。
母親的には、わざわざ俺の為におみやげを用意した時点で、俺への気配りは終わっているらしい。
そもそも、夕飯としてその冷たいピザを差し出してるのだとするなら、あまりにも少なすぎないか。元々食べていたからいいものを。
どうやら母親にとって量は問題ではないらしい。
大切なのは『わざわざ、子ども相手におみやげを用意したこと』のようだ。
ていうか俺、シーフード嫌いなんだけど。
母親が知ってる私の嫌いな食べ物は小さい頃から嫌ってた『レーズン』
しかない。
それ以外は何度言っても覚えようとせず、普通にお弁当に入れたりとか夕飯に嫌いな食べ物のオンパレードとかもよくある話だ。
そもそも、昼間に出かけた帰りに友人に街中で会ってそのまま家族の夕飯も用意せずに、その友人と二人で食べに行く時点で主婦として、母親としてどうかと思う。
しかもこれは初めてのことじゃない。帰ってきて親がいないなんて日常茶飯事だ。
それでも少なからず、自分が中学生の頃まではそんな母親の姿に不信感はなかった。
母親は働いていて忙しいから、朝食や夕飯がない時もあるのは仕方ない。
たまにマージャン行ったり競馬行ったり飲みに行ったりして、家にいないことがあるのも、たまの休みだし仕方ない。
そう思いこんでいたから。それが母親の姿だと、思っていたから。
ないものねだりだとは分かっていても、せめて母も父も?義理の親?だったら良かったと思う。
そしたら、愛されないのも当たり前だと思えたかもしれないから。
本当にそうな人には大変失礼な話だけれども。
いや、母も父も僕を愛しているのかも知れない。
今日だって、わざわざ僕の為に食べ放題のお店でこっそりとピザをくるんできてくれたじゃないか。
そう逆の目線でとらえ、それで満足出来れば僕は幸せだったかも知れない。
でも僕は、家に帰ったら温かい食事が用意されているのが一番良い。
それがダメなら、冷めててもいいから机の上にご飯が用意してあって欲しい。
それでもダメならせめて、そのピザを温めて皿の上に乗せて渡して欲しくて。
そう思う自分は、欲張りすぎているのだろうか。
母親は何事もなかったかのように、友人と今日出会った経緯を話したり、
「エレベーターの中でうちの高校の子がいたんだけどピアスが何個もついてて、本当だらしないよね」なんて言ったりしていて。
どうしてそうやって、他人の子のことを気にかけるくせに自分の子を見ようとしないのだろう。
そう思ってしまう自分は、異常なのだろうか。
一方的に扉の向こうでペラペラと今日のことを喋る母親の声が耳障りで、何度も怒鳴った。
それこそ、病的に。発作的に。
それでもお喋りをやめない母に
「聞こえないのか。いい加減にしろよ。話しかけるな」と俺は怒鳴った。
それ以上話をやめなかったら、多分殴るなり蹴っていたと思う。
僕は母親の前で一番、自己愛性のアレになる。
一つだけ決めていることがある。
大学に入ったら、この家を出ることだ。
自己愛性人格障害を治すには、両親と離れることが一番だと思う。
このあいだ、僕が風邪をひいた時の話だ。
熱もあってのどが痛くて咳も出てて、時期的に麻疹の可能性もあった。
自分はとても、気分が悪そうな顔をしていたと思う。
その時の母親の一言だ。
「病院までついてってあげるから、さっさと支度しなさい」
この言葉はつまり、
俺一人で病院に行くことが前提だけど、あまりにも顔色が悪いから仕方ないからついていくわ。
っていう、母親の考えが読み取れる。
まぁ確かに私の家は車もない分、病院も近いところにある。
でもだからって普通、麻疹かもしれない子どもを一人で行かそうとするだろうか。
友達にも聞いた。答えはNoだった。
でも、もし俺が一人暮らしをしていたとしよう。
どんなに気分が悪くても、病院に行くのは一人で行くしかない。
そこに母親が来て、「一緒に病院行ってあげるわ」って言われたら、僕はどれだけ嬉しいのだろう。
要は、僕はそう思える心の余裕をもたなければいけないのだ。
発想の転換が必要なのだ。
元々、20歳になったら家を出ろと小学生の頃から言われてただけに、それが2年ばかり早くなったと考えればいい。
母親に家を出るって言ったら、「お前に一人暮らしは無理」と言われた。
そんなの自分で分かってる。それでも、出ていかなきゃいけないのだ。
それに、一人暮らしじゃなくても家さえ出れればいいのだ。
だから俺は大学入ったら、鞄一つで友達の家を渡り歩くと思う。
家賃も光熱費も食費も半額払うからしばらく住ませて欲しい。
そう言えば、誰かしらは見付かると思う。
ともかく、この家を出なきゃいけないのだ。
僕に一番必要なことは、それだと思う。
家を出ることは、一人暮らしをしている姉からのアドバイスだ。
同じ母親である以上、言葉にはしなかったけど姉も同じことで悩んでいたのだと思う。
母は私たち2人の子どもの親としては、不適格だったようだ。
こう考える自分は異常なのだろうか。
親を捨てる子どもは異常なのだろうか。
僕は、大学に進んだら教育……それも、虐待に関して重点的に勉強したい。
もう僕のような子どもを、作りたくないから。
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