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眠りたくて目を閉じると、ふと先生のことが頭に過ぎって。
何でも出来る先生が唯一苦手なのは掃除で、だからいつも散らかっている職員室の机とか、
“大林先生の部屋”と呼ばれていた進路指導室でカップラーメンをすする先生の姿とか。
そんな、何の変哲もない動作。
だけど今はもう二度と、そんな先生の姿を見ることはないって思うと、涙が止まらなくて。
未だに私は進路指導室に入ることを躊躇する。
出来れば、あまり入りたくない場所。
だってそこはもう、先生の部屋ではないから。
でも一度だけ入った時、
今年から来た社会の先生がソファーに大股開いて座ってた。
それを見て、“やめて”って思った。
そのソファーは先生のだよ、って。
先生がいなくなる数日前、いつもは散らかってるはずの職員室の先生の机は、ノートパソコンが置いてあるだけであとはガランとしてた。
その机は今はもう、別の先生が使ってる。
散乱していたはずの進路相談室の資料類は、学校別にまとめられている。
それも全部、先生が一人で最後の日までにちゃんと片付けてくれたから。
今年の1年生向けの資料もまとめてあって、“これを○○の時に1年生に配ってください 大林”なんて書かれてた。
だから今、どこにも先生はいなくて。
視聴覚室の火元責任者の欄に未だに“大林”って書いてあって、それを見つけた時は嬉しかった。
時々、クラスの男子が「古典はやっぱり大林の授業が分かりやすかったよな」なんて言ってるのをこっそり聞くと、心の中で頷いてた。
そんな些細なことで、先生の存在を確認している自分がいて。
どうして私は、先生がいない世界で生きていられるのだろう。
前を向いても後ろに振り向いても誰もいない、誰かに寄り掛かることも出来ない世界なのに、どうして私は今も生きることが出来るのだろう。
もう、先生はいないのに。
“先生”という存在以上のことを要求したって仕方ないのは分かってる。
でも私は先生に、私の未来を期待して欲しかったし、私を心配して欲しかった。
私にとって、大林先生はそういう存在だった。
だから先生が発する一言一句が嬉しくて、でも時々悲しくて。
でも、たとえどんなに先生自身に会えたとしても
先生が今、期待しているのも心配しているのもあの学校のことで、決してうちの学校じゃなくて。
もしもうちの学校の中でも期待している子がいるとしたら、間違いなくあの子で。
決して私ではなくて。
だからとても不思議に思う。
どうして私は今、生きていられるのだろう。
期待も心配も、誰からもされていないのに。
どうしてたった一人、この世界で立っていられるのだろう。
先生はどこにもいないのに。
どうして私は先生に求めてしまったのだろう。
満たされる訳がないのに。
どうして見守っていて欲しいと思ったのだろう。
そんなの、叶う分けないのに。
テストで良い点取った時は褒めてくれて、いけないことは叱ってくれて。
一見当たり前のことに見えるけど、先生がいなくなって、そばにいてくれる大人は誰もいなくなった。
だから私は一人で今、歩いている。
間違えた時、叱ってくれたその声が、
今ではとても羨ましい。
重荷にしかなれない自分が、いつかその背中に追いついて喜ばせることを夢見て、ずっと生きていたから。
だから今はとても苦しい。
何でも出来る先生が唯一苦手なのは掃除で、だからいつも散らかっている職員室の机とか、
“大林先生の部屋”と呼ばれていた進路指導室でカップラーメンをすする先生の姿とか。
そんな、何の変哲もない動作。
だけど今はもう二度と、そんな先生の姿を見ることはないって思うと、涙が止まらなくて。
未だに私は進路指導室に入ることを躊躇する。
出来れば、あまり入りたくない場所。
だってそこはもう、先生の部屋ではないから。
でも一度だけ入った時、
今年から来た社会の先生がソファーに大股開いて座ってた。
それを見て、“やめて”って思った。
そのソファーは先生のだよ、って。
先生がいなくなる数日前、いつもは散らかってるはずの職員室の先生の机は、ノートパソコンが置いてあるだけであとはガランとしてた。
その机は今はもう、別の先生が使ってる。
散乱していたはずの進路相談室の資料類は、学校別にまとめられている。
それも全部、先生が一人で最後の日までにちゃんと片付けてくれたから。
今年の1年生向けの資料もまとめてあって、“これを○○の時に1年生に配ってください 大林”なんて書かれてた。
だから今、どこにも先生はいなくて。
視聴覚室の火元責任者の欄に未だに“大林”って書いてあって、それを見つけた時は嬉しかった。
時々、クラスの男子が「古典はやっぱり大林の授業が分かりやすかったよな」なんて言ってるのをこっそり聞くと、心の中で頷いてた。
そんな些細なことで、先生の存在を確認している自分がいて。
どうして私は、先生がいない世界で生きていられるのだろう。
前を向いても後ろに振り向いても誰もいない、誰かに寄り掛かることも出来ない世界なのに、どうして私は今も生きることが出来るのだろう。
もう、先生はいないのに。
“先生”という存在以上のことを要求したって仕方ないのは分かってる。
でも私は先生に、私の未来を期待して欲しかったし、私を心配して欲しかった。
私にとって、大林先生はそういう存在だった。
だから先生が発する一言一句が嬉しくて、でも時々悲しくて。
でも、たとえどんなに先生自身に会えたとしても
先生が今、期待しているのも心配しているのもあの学校のことで、決してうちの学校じゃなくて。
もしもうちの学校の中でも期待している子がいるとしたら、間違いなくあの子で。
決して私ではなくて。
だからとても不思議に思う。
どうして私は今、生きていられるのだろう。
期待も心配も、誰からもされていないのに。
どうしてたった一人、この世界で立っていられるのだろう。
先生はどこにもいないのに。
どうして私は先生に求めてしまったのだろう。
満たされる訳がないのに。
どうして見守っていて欲しいと思ったのだろう。
そんなの、叶う分けないのに。
テストで良い点取った時は褒めてくれて、いけないことは叱ってくれて。
一見当たり前のことに見えるけど、先生がいなくなって、そばにいてくれる大人は誰もいなくなった。
だから私は一人で今、歩いている。
間違えた時、叱ってくれたその声が、
今ではとても羨ましい。
重荷にしかなれない自分が、いつかその背中に追いついて喜ばせることを夢見て、ずっと生きていたから。
だから今はとても苦しい。
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