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さっきの続き。
だが、中学に入った途端様々なめぐり合わせで私は吹奏楽部、それもパーカッションをすることになった。
そして、渡された楽譜は“Xylophone”
私は初めて、木琴を人前で叩けるのだ。
それはとても嬉しかったし、他のパーカッションの楽器を出来ることも嬉しかった。
中学生で初めてというのは遅いかも知れないけれど、私はやっと“音楽”におおやけの前で関われることになったから。
頑張ろうと思った。木琴も、太鼓も何でも。
どんなに基礎練をしても、どんなに練習をしても、私はリズムが遅くなる。
最初のうちは合っているのに遅れてくる。一緒に入った同級生達はどんどん上手くなるのに。
私は焦った。
もっと練習しなきゃ、って思った。
もっと頑張らなきゃ、って思った。
でもどんなに頑張っても、私はだめだった。
1年経っても直らない。
そして私はやがて、周りと自分の違いに気付いた。
私の左手。
叩くと、明らかに右手とは違う。
動かない。
叩く時、上下に動かす。でも、上下と言っても、実際は手首でスナップをかけている。
そのスナップで叩くのだ。普通、そんなの意識していなくても出来る。
実際、私の右手は何もしなくてもスナップがかかっている。
でも、左はそれがない。ただ、下に降ろしているだけ。
周りに言っても信じて貰えないだろうと、今まで言って来なかった。
病気だという訳でもないのだから。でも、1年経っても動かない左手。
パーカッションをやる上では致命的だった。
このままでは、私はパーカッションの中の居場所を失くしてしまう。
だから私は、もっとパーカッションのみんなが必要とする知識を付けた。
そうすれば居場所が残せるから。
やがて、後輩が入ってきた。
後輩はぐんぐん育った。正直、私の数億倍上手かった。
分かっていた。追い抜かされることなんて。だから、怖かった。
「お前なんかが先輩なのかよ」って言われるのが怖かった。
でも、いくら練習しても、私の左手は動かないままだった。
みんなが帰った後、必死に叩いたことがある。まめも出来た。
それでも、左手は何も変わらなかった。
思い起こせば、私にとって音楽は憧れであり、劣等感の固まりだった。
我慢して部活に行くことも何度もあった。悔しくて泣いたこともあった。
ピアノが弾ける人が羨ましかった。歌を上手く歌える人が羨ましかった。
パーカッションが出来る人が、羨ましかった。
私は、音楽に愛されない子だ。
何も弾けない、何も叩けない、何も歌えない。
それでも、私は音楽を愛していた。
これは今までずっと、誰にも言ったことがないこと。
なんで今日こんなことを書いたというと、さっき電話があったから。
今、真朝は吹部に入っていません。その代わり、市でやっている楽団に入るつもりです。
その担当者から電話が今日あって、「トランペットをやりなさい」と言われました。
その言葉がどういう意味か、分かってます。
パーカッションとしては入れることは出来ないこと、そして真朝は“リズム音痴”として散々言われてきたけど本当はリズムを取ることは出来るのに左手首がどうしても遅れてしまうからそれが影響しない管楽器をやりなさいということ。
ちゃんと分かってます。
本当は嫌です。3年続けたパーカッションをずっとやりたい。
でも、分かってることなんです。どんなに長く続けてもドラムは出来ないこと。
それでも、小物でもいいとは思うんです。ただ、それだと私はいつまでも劣等感の固まりになる。
ピアノを弾くことは出来ないし、歌も音痴で歌えない。
そして手首が動かないという身体的な理由でパーカッションも出来ない…全部、私自身の努力じゃない所で“出来ない理由”が決まってるんです。
だけど管楽器なら、弾くのも音痴も手首も関係ない。
だから今度こそ、自分の努力で自分を伸ばしたいんです。
音楽を、続けたいんです。
だから、真朝はトランペットを吹くことにしました。
何も分からないのに、楽団というレベルの高い所で練習するのはこれから先、辛いこともいっぱいあると思う。
でも、頑張りたいと思います。
1つだけ。“出来ないって決めてる”訳じゃないんです。本当に、手首が動かないんです。
だから、そこは責めないで下さい。
“適材適所”
今度こそ、音楽に愛されたいです。
そして、渡された楽譜は“Xylophone”
私は初めて、木琴を人前で叩けるのだ。
それはとても嬉しかったし、他のパーカッションの楽器を出来ることも嬉しかった。
中学生で初めてというのは遅いかも知れないけれど、私はやっと“音楽”におおやけの前で関われることになったから。
頑張ろうと思った。木琴も、太鼓も何でも。
どんなに基礎練をしても、どんなに練習をしても、私はリズムが遅くなる。
最初のうちは合っているのに遅れてくる。一緒に入った同級生達はどんどん上手くなるのに。
私は焦った。
もっと練習しなきゃ、って思った。
もっと頑張らなきゃ、って思った。
でもどんなに頑張っても、私はだめだった。
1年経っても直らない。
そして私はやがて、周りと自分の違いに気付いた。
私の左手。
叩くと、明らかに右手とは違う。
動かない。
叩く時、上下に動かす。でも、上下と言っても、実際は手首でスナップをかけている。
そのスナップで叩くのだ。普通、そんなの意識していなくても出来る。
実際、私の右手は何もしなくてもスナップがかかっている。
でも、左はそれがない。ただ、下に降ろしているだけ。
周りに言っても信じて貰えないだろうと、今まで言って来なかった。
病気だという訳でもないのだから。でも、1年経っても動かない左手。
パーカッションをやる上では致命的だった。
このままでは、私はパーカッションの中の居場所を失くしてしまう。
だから私は、もっとパーカッションのみんなが必要とする知識を付けた。
そうすれば居場所が残せるから。
やがて、後輩が入ってきた。
後輩はぐんぐん育った。正直、私の数億倍上手かった。
分かっていた。追い抜かされることなんて。だから、怖かった。
「お前なんかが先輩なのかよ」って言われるのが怖かった。
でも、いくら練習しても、私の左手は動かないままだった。
みんなが帰った後、必死に叩いたことがある。まめも出来た。
それでも、左手は何も変わらなかった。
思い起こせば、私にとって音楽は憧れであり、劣等感の固まりだった。
我慢して部活に行くことも何度もあった。悔しくて泣いたこともあった。
ピアノが弾ける人が羨ましかった。歌を上手く歌える人が羨ましかった。
パーカッションが出来る人が、羨ましかった。
私は、音楽に愛されない子だ。
何も弾けない、何も叩けない、何も歌えない。
それでも、私は音楽を愛していた。
これは今までずっと、誰にも言ったことがないこと。
なんで今日こんなことを書いたというと、さっき電話があったから。
今、真朝は吹部に入っていません。その代わり、市でやっている楽団に入るつもりです。
その担当者から電話が今日あって、「トランペットをやりなさい」と言われました。
その言葉がどういう意味か、分かってます。
パーカッションとしては入れることは出来ないこと、そして真朝は“リズム音痴”として散々言われてきたけど本当はリズムを取ることは出来るのに左手首がどうしても遅れてしまうからそれが影響しない管楽器をやりなさいということ。
ちゃんと分かってます。
本当は嫌です。3年続けたパーカッションをずっとやりたい。
でも、分かってることなんです。どんなに長く続けてもドラムは出来ないこと。
それでも、小物でもいいとは思うんです。ただ、それだと私はいつまでも劣等感の固まりになる。
ピアノを弾くことは出来ないし、歌も音痴で歌えない。
そして手首が動かないという身体的な理由でパーカッションも出来ない…全部、私自身の努力じゃない所で“出来ない理由”が決まってるんです。
だけど管楽器なら、弾くのも音痴も手首も関係ない。
だから今度こそ、自分の努力で自分を伸ばしたいんです。
音楽を、続けたいんです。
だから、真朝はトランペットを吹くことにしました。
何も分からないのに、楽団というレベルの高い所で練習するのはこれから先、辛いこともいっぱいあると思う。
でも、頑張りたいと思います。
1つだけ。“出来ないって決めてる”訳じゃないんです。本当に、手首が動かないんです。
だから、そこは責めないで下さい。
“適材適所”
今度こそ、音楽に愛されたいです。
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